ゆめすてば

棄てられた夢に、回収用のシールを貼ってあげる。そんなかんじです。

なぜちょっと意識の高い人たちはフットサルをやりたがるのか

こんにちは

フットサル、ご存知ですか?

簡単に言ってしまえば、ミニチュアのサッカー。社内の懇親会や大学のサークルなどで経験した方もいらっしゃるのではないでしょうか。

フットサルと11人制サッカーの違い | フットサルとは | Japan Futsal Federation(外部リンク)にサッカーとの比較表が掲載されており、非常にわかりやすいので詳細は割愛しますが、今回はその魅力に迫ろうと思います。

いや、正確にお伝えしましょう。フットサルと聞いて、なんかちょっとやだな…って思ってしまった貴方もいらっしゃるのではないでしょうか。そこなのです。いわゆる「陽キャ」、テンションか意識、またはその両方がお高めの人々は、何かにつけてフットサルをやりたがる気がしませんか?

(意識、とよく言いますが、私が言いたいのは「みんなで成長!」「ゼロからの成功!」「人脈づくり!」などと連呼するTwitterアカウントを持っていて、たまにちょっと意味深なことを言う人たちを一括りにして意識高い「系」、及び彼らが持つ人生へのモチベーションのことを「意識」と呼んでいます。)

私は以前、たまたま仲良くなったいわゆる意識高い系のお兄さんとLINEを交換し、彼が所属する団体のフットサル大会に執拗に誘われました。また、仲の良い友達は大学の新歓で、怪しげな学生団体に捕まりフットサルに誘われたそうです。そのほかにも、私のTwitterに時たまフォローが飛んでくる、「ゼロから投資を学び合う集まり」などといったアカウントの「交流会」には決まってフットサルが書かれている印象があります。おーぷん2ちゃんねるというインターネット掲示板の、ニュー速vip板に2015年7月7日立てられたスレッドにも、「意識高い系の趣味」として「フットサル」が取り上げられています(ただし否定的なレスも多く、必ずしも賛同はされていないようでした)。

このように、ちょっと危ないかもしれない…と思うような集いとフットサルは、切っても切れない繋がりが存在しているのではないかと疑わざるを得ないのです。前置きが少々長くなりましたが、ここでは最終的に、フットサルの名誉挽回を目指そうと考えております。

ここで断っておかねばならないのは、フットサルをやっている団体が全て怪しげだと言いたいのではありません。実際に私が所属していたサークルでもフットサル会はありましたが、活動内容自体は至極真面目な山岳団体でした。

 

・理由推察その1  手軽である

サッカーは1チーム11名ですが、フットサルならば5名。つまり最低10人いれば対戦が可能なのです。あんまり人が集まらない貴団体にもピッタリですね!さらに、サッカーを知っていれば新しいルールをほとんど覚えなくてよく、コート面積もおよそ半分、初めてプレーする人や、体力に自信がない人にもそこまで負担にならないでしょう。時間も短めで、サクッと楽しめます。

 

しかし、この理由では、「意識が高い人たち」がきわめてこのスポーツを好むことの説明がつきません。度々登場させて恐縮ですが、私がお世話になった登山サークルでフットサルを行うのは多くて年一回。ほかにもドッジボールやバスケットボール、バレーボールなんかも行なっていました。

 

・理由推察その2  選択肢の不足(他者との同一化)

ここで言及したいのは、ハイ意識団体が親睦を目的として行うスポーツにおける「選択肢がフットサルしかない」という可能性です。

基本的に意識の高そうなグループがよく使用するワードは決まっています。集団自体は星の数ほどあるのに、なぜ同じようなことばかり言っているのか。それは、先に誕生した団体を真似ているためでしょう。「ほうほう、起業家や投資家を呼んで講演会…」「ミーティングで切磋琢磨する…」などという、他団体を参考にする過程の一環として、「親睦にはフットサル…」というのがあっても、何らおかしくありません。彼らは信じたものへ半ば盲目的に追従してゆくイキモノなのです。

さて、だんだんと見えて来ました。しかし、ここで生じる疑問は、「沢山あるグループの、いわば総本家にあたるところは、なぜ最初にフットサルをやり始めたのだろうか」ということです。

 

理由推察その3  人と違う何かがやりたいアレ

何年も前、「意識高い団体」の創始者は考えました。「たとえ団体員の親睦目的でも、なんか、人と違うことしてえな!」。そうして、マイナーなスポーツをたくさん調べました。インディアカやボッチャは道具がいるし、カバディはむさ苦しいしスカッシュはできるところがなさそう、そうだ、フットサルはどうだろう!と、こうなったわけです(知らないけど)。特殊な知識もいらず、サッカーのように楽しめる。それは理由1でも述べた通りです。まだまだマイナーであった頃のフットサルに目をつけて、自団体の行事として取り入れたのでしょう。それを後発が真似して、という流れは容易に想像がつきます。

本来の意味とは少し異なりますが、アメリカの社会学者ソースタイン・ヴェブレンという人の「顕示的消費」なる概念を持ち出してみましょう。「実際にそのものが欲しい!」というわけではないけど、「こんなものが買えるということを他人に見せびらかしたい!」という思考のもと行われる消費のことです。インスタ(Instagram)映えと言えばピンと来るでしょう。基本的にそういう団体の方はフットサルそのものがしたいわけではなく、「フットサルを取り入れてるわたしたち」を発信することで、体裁を保っていると言えるのでしょう。まあでも、よく考えれば本当にフットサルがやりたければ投資や成長なんかは置いといてフットサル団体を立ち上げるでしょうから、当然と言えば当然です。このように、他人から「なんかよくわからないけど聞いたことないスポーツやっててすごい!」と思わせる目的でやっている(やり始めた)、という可能性が指摘できるのです。

そういえば、これは完全に偏見ですが、彼らはやたら変な輸入食品や、高そうな焼肉、バブル期かよ、と突っ込みたくなるようなザ・ド派手な何か(プールとか)をSNSで見せびらかしている印象があります。もしかしたら、顕示的消費を地でいくのはキラキラ女子大学生ではなく意識高い系の諸兄なのかもしれません。

どうでもいいですが、知り合いの女子大学生は「食べ物を食べる時にインスタに上げるのは箸を持つことと同じ」「どんなに行きたい店も所属コミュニティの中で誰かが先に行ってそれをインスタに上げられてしまったらもう行くことはできない」などとのたまっており、この種の人間とは付き合えないと思ったものでした。

 

さて、いかがでしょうか。これらはあくまでも「推察」であり、筆者の脳内で完結したものです。地道なフィールドワーク、参与観察を通じて真実を明らかにしても良いのですが、それは研究者の仕事なので私が行うのは控えましょう。

さらにこれは、私の偏見に満ち満ちた記事です。不快に思った方々はこれを機会に、何か別のスポーツに取り組んでみるのはいかがでしょうか。

 

雨の中を歩く方法を真面目に考えてみる

久しぶりに台風がやってきました。現在首都圏は篠突く雨。こんな時は、外に出ずにじっとしていたいものです。しかしながら、現実はそう甘くない。土曜日とはいえ、仕事をしている人はたくさんいるはずです。かく言う私もその一人。この雨の中、家に帰らなければならない。そんなあなたに、読んでほしくて筆を取りました。

 

・傘をさす

当たり前ですが、傘とは非常に悩ましいものであります。というのも、濡れないようにさそうと思うと前が見えなくなったり、手に持っている鞄が濡れたり。

また、傘そのものにも多少なりとも問題があります。まずはその携帯性の悪さ。折りたたみ傘もありますが、小さくて弱く、たたむのも大変、濡れたものを入れておくと鞄の中が濡れるか臭くなるかのどちらかです。かといって大きな傘を持っているのは面倒。中には人にぶつかるような、危険な持ち方をしている人もいます。

さらに、忘れやすいのも難点。電車の中にお気に入りの傘を忘れた!などといった悲劇は実にありふれています。

最も悪い点は高止まりする盗難率。傘なら盗んでいいだろ、などという安易な考えを持つ輩にいちいち腹を立てたり、そういう気持ちをツイートしたりするのは実にストレスフル。仲のいい友達が傘を盗んでいるのを見たりした日には人間不信に陥ります。「ちょっぱる」などという軽々しい言葉で表現されるその行為は立派な犯罪、窃盗です。最も簡単に「被害者」になる可能性があるのは、傘を所持することなのです。

そこで私は、ある結論にたどり着きました。

傘は、人間が使うには向いていない。

 

・カッパを着る

雨合羽、レインコートともいいます。ビニールの生地でできており、水を一切通しません。でもそれは、内部の湿気に対しても効果は絶大。不快極まりない着物です。しかしながら、傘に比べて価格が安く、盗まれたなどという話は聞きません。ただ、利点らしい利点はそれだけです。

 

・レインウェアを着る

前項の進化版。立派な登山用品であるそれは、今まで数多くの登山者を低体温症から救ってきました。ゴアテックスという生地で作られるものが多く、外からの水分は完全に防ぎ、湿気は抜けていくという夢のようなスーパー素材。実際のところはどうなの…?と尋ねてはいけません。この世に夢などないのです。しかしながら、防水性は雨合羽同等クラスでデザインの選択肢が広く、最近ではおしゃれなものも出回っています。欧米系の方は普段使いもしており、結構ダサめなものもカッコよく着こなしちゃったりしてますね。

ただしそのお値段、2万〜青天井。低価格のものはギャンブルです。つまり防水性がないものも混ざっているのでご注意。ちなみに登山用語では雨が染みるゴアテックスを「シミテックス」と呼びます。

 

・ビニール袋を着る

上二つの最終進化。ゴミ袋の底に穴を開け、頭を出します。私は地下鉄六本木駅でビニール袋を着たコーカソイドの妙齢女性を見かけ仰天しました。

 

・水着で歩く

高校生の時、海岸ではあんなに水着がいるのに、なぜ街中では一人もいないのだろうと不思議に思いました。仲の良い級友に聞くと、彼は、その必要がないからだ、と答えました。しかしどうでしょう。そんなことを言ったらオシャレなどという概念は崩壊してしまいます。

シカゴ学派社会学者ハワード・S・ベッカーという人は、逸脱行為というものは周縁からのレッテル貼りによって始めて「逸脱」と定義されるものであるというラベリング理論を提唱しています。すなわち、「水着で歩くのがおかしい」という「規範」は、本当に水着で歩くのがおかしい訳ではなく、水着で歩くのがおかしいというレッテルを貼った「周縁」によって勝手に作られているものであると言えます。

雨の中を水着で歩いたらどうでしょうか!きっと、不快でしょう。水着とは、晴れたビーチで着るものです。

 

・失恋をする

とは言えやっぱり周囲の目は気になるところ。出来るだけ、自分が所属する社会の規範に則した行動を心がけたいものです。雨の中を歩く、という行動が最も社会的に受け入れられやすい状況はなんでしょうか。それは、失恋です。そこそこちゃんとした服装の人が雨の中、傘もささずに歩いていたらどう思うでしょうか。ああきっと、あの人は憧れの相手に振られちゃったに違いない!と思うはずです。これこそ思う壺。見事社会に溶け込めました!何も、実際に失恋しなくてもよろしい。それっぽければ人は勝手に想像力を働かせてくれる生き物です。いざという時のために、会社や学校のロッカーに「そこそこちゃんとした服装」と「バラの花束」を備えておくと安心でしょう。

 

・特殊シールドを展開し体表に極接近した水分を反射する

練習あるのみ。君なら出来る、と世のオトナは言うでしょう。「しょうらいの夢」とは、そういうものの集まりです。雨と何の関係があるか、それは、大人になれば分かります。

 

いかがでしょうか。たとえ雨の外を歩く羽目になったとしても、僅かながら光明が見えたのではないでしょうか。実際にこれらの方法を試して、貴方がどんな結果に至ろうと私は一切関知しません。方向性を示したのは私ですが、選択したのは貴方です。「常識的な」行動を期待しています。

 

ファミチキの肉汁を溢さずに食べる5つの方法

 

【もくじ】

はじめに

  1. ○○を使う!
  2. 日本人ならこう食べる!
  3. あの商品がこんなところで活躍!?
  4. コンビネーションで差をつけろ!
  5. チキンを通して人生を見た!?

おわりに

※非常に大げさです。心してお読みください。

 

【本文】

はじめまして。

たった今、そうです、正確には2018年7月26日17:25ごろ、わたしは駅前でファミチキを食べていました。

正直な話、間食をする時間ではありません。そろそろ夕食時ですし、それでも私は誘惑に勝てませんでした。わかりますよねこの感じ。さて、買ったものを、まるでプレゼントの袋を破るクリスマス当日の子供のように、大きな仕草で取り出します。そしてその肉片にかぶりつく…身も震えんばかりの幸せ…。ふと足元を見やると、ああ、なんたる事。洗濯したばかりのジーパンに、鳥もも肉が潤沢に湛えていたその麗しい脂が、溢れているのです。私はとても悲しくなりました。同時に、この気持ちを誰かに伝えねばなるまい、という使命感がこみ上げてきました。そう。チキンを食べ終わったその手で、私はブログを開設し、早々に記事を書き始めたのです。

 

1.   ビニール袋を使う

ファミリーマートの袋は適度な厚さとそれゆえの耐久性に優れ、私もカバンの中に2〜3枚常備しています。捨て忘れているのではなく、常備しているのです。ファミチキの包み紙を取り出さず、袋ごと食べる事でたとえ肉汁ダレを起こしても、その高品質プラスチック・バッグがしっかりカバーしてくれます。環境に配慮して、という貴方には向きませんが、基本的に環境に配慮することは人間が生きることと矛盾するので、これを機にひとまずそういうのは諦めて、袋をもらってみてはいかがでしょうか?

 

2.   立って食べる

ジャパニーズ・ファストフードスタイルとも言える立ち食い。江戸時代はそば、寿司、天ぷらの屋台がひしめきそのほとんどが立ち食いだったという、もはや日本人の伝統芸能。ちなみに伝統というのは勝手に造られるものなので、それっぽかったら全部「伝統」と呼んでしまってOK。今回、私の敗因は座って食べたことで肉汁の落下可能性区域内に太腿が侵入してしまい、結果として着弾を招いてしまったことでした。ここは地球。物体は基本的に真下へ落ちます(風の抵抗は無視しても良い)。立って食べれば、たとえ脂が溢れてしまっても着弾地点は貴方の足元。靴だけは、注意が必要です。

 

3.   スパイシーチキンで妥協する

悪の芽は即座に摘まなければなりませんが、そもそも種の段階で掘り起こしてしまえば芽など出るはずもありません。ファミリーマートにはスパイシーチキンというのもあり、こちらはファミチキと比較しても肉汁は少なめ。お値段も安くヘルシーという、まさに良いことずくめ。ただし結構辛いので、飲み物なんかを飲むときにそれをこぼさぬようお気をつけください。

 

4.   カレーに乗せて食べる

毒をもって毒を制すパターン。しかしこの組み合わせは、決して侮れないうまさを秘めているのであります。未だやったことのない貴方は一度お試しあれ。ハンバーグでもない、カツでもない、新たなる世界の夜明けを目の当たりにするでしょう。ただし、衣服にカレーをこぼした場合、本来の肉汁を遥かに上回る面倒くささと暗い気持ちを体験することになる、諸刃の剣でもあるのです。

 

5.   あきらめる

専門用語で「折り合いをつける」といいます。人生も、どこで折り合いをつけていくかが案外大切だったり大切でなかったりします。正直な話、ファミチキの脂ごときを気にしてられるほどお暇ではないですもんね。ようやく得られた至福のひととき、その1秒たりとも余計なことは考えたくない。ジーパンなんか、また洗えばよろしい。そうです。そのままガブッといきましょう。本来チキンとは、そういうものです。

 

さて、ご参考になりましたでしょうか。なったとしたら、びっくりです。思い返せばつい先ほど、突然なにもかも吹っ切れたような気持ちになり、晴れ晴れとファミリーマートのドアをくぐってにこやかにファミチキを買い求めたのでした。しかしどうでしょう。新たなる悲劇を生んでしまったのです。マァ、そういうこともありますよね。

 

あーあ。洗濯しなきゃなあ。